大判例

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最高裁判所第一小法廷 昭和56年(あ)110号 決定

本店所在地

福岡県田川市大字猪国四五〇番地の一

大得山株式会社

右代表者代表取締役

田中千鶴子

本籍

福岡県田川市大字猪国一五一九番地

住居

同所六九〇番地

医師

田中得雄

昭和四年一〇月一七日生

右両名に対する各法人税法違反、田中得雄に対する所得税法違反被告事件について、昭和五五年一二月九日福岡高等裁判所が言い渡した判決に対し、被告人らから上告の申立があったので、当裁判所は、次のとおり決定する。

主文

本件各上告を棄却する。

理由

被告人両名の弁護人木下春雄、同廣瀬達男の上告趣意第一点のうち、判例違反をいう点は、記録によれば、本件土地の売却代金が昭和四六年九月及び一一月に被告人田中に支払われたと認めた原判断は相当であり、また、右土地の支配はその頃同被告人を離れたと認めるのが相当であるから、所論は前提を欠き、その余の上告趣意は、事実誤認、最刑不当の主張であって、いずれも刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。

よって、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 藤﨑萬里 裁判官 団藤重光 裁判官 本山亨 裁判官 中村治朗 裁判官 谷口正孝)

○ 上告趣意書

被告人 大得山株式会社

右代表者 田中千鶴子

被告人 田中得雄

右の者等に対する法人税法違反等被告事件について、上告の趣意は左記のとおりである。

昭和五六年四月二八日

弁護人 木下春雄

同 廣瀬達男

最高裁判所第一小法廷

御中

第一点 土地の譲渡所得についての事実誤認及び判例違反

原判決及び第一審判決には、判決に影響を及ぼすべき重大な事実の誤認があり、かつ最高裁判所の判例と相反する判断をした違法がある。

一 事実誤認

(一) 原判決が維持した第一審判決は、同判示第一において、被告人田中の昭和四六年度分の所得金額の中に分離短期譲渡所得一億二、八八八万八、四〇〇円があるとして、これについて、真実は、土地売買契約は昭和四六年中に締結し、その代金も同年中に支払いを受けて土地の引渡しを終えていながら、これを分離長期譲渡であるように仮装するため、売買契約年月日を昭和四七年一〇月二〇日に、引渡年月日を同月三一日にそれぞれ遅らせた不動産売買契約書及び領収証を作成するなどの手段により昭和四六年度の所得の一部を秘匿した旨認定しているが、右のうち土地の売買契約を昭和四六年中に締結したこと、その契約書の作成日付を昭和四七年一〇月二〇日としたことはその通りであるけれども、昭和四六年中に代金(裏金を除く)の支払いを受けて土地の引渡しを終えていたという事実は無く、分離長期譲渡であるように仮装したこともない。右は全くの事実誤認である。

(二) 第一審判決挙示の証拠によると、本件の事実の経過は以下のとおりである。

(1) 日本信販株式会社福岡支店(以下日本信販という。)は、大末建設株式会社九州支社(以下大末建設という。)の勧めにより、昭和四六年春頃から被告人田中が昭和四二年一〇月一四日後山繁之から買受け、四月一六日所有権移転登記を経由して所有していた福岡県筑紫郡大野町上大利所在の山林、原野、雑種地等一六筆合計一六、六七八坪(以下本件土地という。)を含む五万坪余の土地を買収してこれを宅地に造成して売り出す「南ケ丘ニュータウン」建設計画をたて、そのための土地買収(大末建設がその名において各地主から買収したものを日本信販は大末建設から一括して買受ける。)及び宅地造成工事を大末建設に請負わせた。

(2) そこで、大末建設は、先ず右造成予定地の買収にかかったが、被告人田中としては本件土地を直ちに売却すればこれが取得後五年を経過していないので所謂短期譲渡になり、長期譲渡より著しく高い税金を払わなければならないので、これを断った。

しかし大末建設としては、本件土地が右造成予定地の約三分の一に当る上、その中央部分を占めているので、これを除外しては宅地造成の意味が無くなるところから、何としてでも買収する必要があり、被告人田中に対し執拗に売却方を懇請して来たが、被告人田中がこれに応じようとしなかったので、共同造成ないし造成協力などの案も提示して来た。

これに対し、被告人田中も、やむを得ず造成協力でいくことにし、本件土地についても日本信販の負担で他の土地と一緒に宅地に造成し、完成後の造成地を、うち五七%を日本信販が取り、残り四三%を被品人田中が取得することで話合った(記録第一冊二八七丁、被告人田中の承諾書参照)。

しかし、これでは被告人田中において右取得した造成地を自ら売却処分等しなければならず、病院長の身では面倒であると考えられ、その後も大末建設から受渡し方について強い要望があったので、被告人田中としても、最終的には短期譲渡にならなければ本件土地を売却してもよいという気になった。そこで、あくまで短期譲渡を避けるため、本件土地の売買取引の時期を、これが取得後五年を経過した昭和四七年一〇月三一日とすることにし、大末建設としても土地の所有権は宅地造成完了までに取得できればよいし、(証人西村悟の第一審第一六回公判における証言第六五・六六問答)、宅地造成のための開発行為を施工するには所有権取得の要はなく、地主の開発同意さえあればよいので、売買完了前でも宅地造成のための開発に同意してもらうことで了承した。なお宅地工事の完了予定は、昭和四八年八月となっていた(日本信販、大末建設間の工事請負契約書、記録第一冊二八六丁参照)。

(3) かくして昭和四六年九月一〇日被告人田中と大末建設との間で本件土地の売買契約書を作成したが、その内容は、右合意に基づき、売買代金(いわゆる表の代金)を一億六、六七八万円とし、これを所有権移転登記のときに支払う、所有権移転登記申請は昭和四七年一〇月三一日に行なうこととし、同日本件土地の所有権を移転してその引渡しもする、というものである。(被告人田中と大末建設との間の不動産売買契約書、記録第一冊二七〇丁以下)。

尤も、右契約書にその作成日付を昭和四七年一〇月二〇日と記載したが、これは本件土地の売買日時が同月三一日であるので、その直前に契約書が作成された如く見せようとしただけのことで、原判決及び第一審判決認定のように売買取引は実際には昭和四六年九月一〇日に為されたのに昭和四七年一〇月三一日に行われた如く装うためにしたものではない。既に右契約書の内容自体売買取引の時期を昭和四七年一〇月三一日と明記しているので、作成日付だけをずらしても契約内容には何等影響することはないのである。

(4) 他方大末建設と日本信販との間では、これより先昭和四六年八月一二日本件土地を含む五万坪余りの土地につき売買契約が締結されており、本件土地代金に見合う一億七、五一一万九、〇〇〇円を同年九月中に支払うこととされている(記録一冊二七九丁以下、土地売買契約書参照)。

右によれば、本件土地については、大末建設は未だ被告人田中とは売買契約も何も出来ていないのに、既に日本信販に対しこれを売却する旨の契約を締結していたわけである。

かくして、大末建設は、被告人田中に対し売買代金は既に用意が出来ているとして本件土地の売却方を強く要請していたものである(証人西村悟の第一審第一六回公判における証言第二五問答中参照)。

(5) 一方被告人田中は、別府市天間字松塚及び上野所在の原野一三万五、九三三平方メートルを買受けることにしていたので、その代金に当てるため相当額の融資方を住友銀行福岡支店次長藤本鐵雄に申入れたが、右藤本次長の示唆により、大末建設が用意が出来ているという本件土地の売買代金を右住友銀行福岡支店に定期預金として預け入れ、これを担保として国銀行から融資を受けることとした。

大末建設においても、日本信販から支払いを受ける土地代金は、いずれ被告人田中に支払うべきものであるので、同被告人の要請に応じ右のとおり本件土地の売買取引時までこれを定期預金として預け入れて同被告人の借入金の担保に提供することとしたのであるが、これより先被告人田中は、日本信販が本件南ケ丘ニュータウン造成費用として三菱信託銀行から借入れた二億円について、本件土地をその抵当物件として提供するよう要求されこれを承諾していたので、引替えに抵当権設定に必要な本件土地の権利証、委任状、印鑑証明書を日本信販に交付した。

因に、前示(2)記載の被告人田中の承諾書によれば、日本信販は被告人田中が本件土地について、単に造成協力を約した際、既に同被告人に対し本件土地につき日本信販の為担保提供を承諾させており、又日本信販と大末建設の間では昭和四六年八月十二日の前示(4)の土地売買契約時において、被告人田中の本件土地のうち五筆合計五三、六五一平方メートルにつき担保提供を約束している(同契約書添付の覚書第一条、記録二七五丁参照)。被告人田中所有の本件土地を担保に提供することは、同被告人が大末建設から定期預金担保の提供を受ける以前に既に決っていたのである。

(6) ところで右のとおり、被告人田中は日本信販に対し本件土地を担保物件として提供し、抵当権設定に必要な権利証、委任状、印鑑証明書を交付しているのであるが、それはあくまでも抵当権設定に必要であるからその為に交付したもので、決して所有権を移転するためではなかった。事実としても当時は抵当権設定登記は為されているが所有権移転登記手続は為されていない。

従ってその時点で本件土地の所有権が日本信販に移転したという事はあり得ず、勿論本件土地の引渡しがあったということもないのである。

(7) 被告人田中は昭和四六年一一月三〇日大末建設から裏代金相当額八三三万九、〇〇〇円を受領し、同時に本件土地の開発施工に同意した。そして大末建設は昭和四七年四月一三日付開発許可に基づき開発工事に着工した。(証人西村悟の第一審第一四回公判における証言参照)。

しかしその事をもって被告人田中が本件土地の引渡しをしたことにならないのは勿論である。

(8) 昭和四七年一〇月三一日大末建設は前記定期預金を解約し、その払戻し金は予ての合意に基づき被告人田中の前記借入金の返済に当てられたので、同被告人は同日本件土地の売買代金を受領したことになり、その旨の領収証を大末建設に作成交付した。(右領収証は昭和四六年九月一〇日ないし同月一三日に作成されたものではない。その事は被告人田中と大末建設間の本件土地売買契約書-記録二七一丁-に押捺されている同被告人の印影と右領収証-検甲三〇の二号-の同被告人の印影とが同一でないことからも明らかである。)

(9) 以上のとおり、本件については、その所有者たる被告人田中において、これを取得後五年を経過しない間においては、短期譲渡になるので売却する意思は全然なかったので、大末建設側からの買取交渉には応じなかったのであるが、大末建設としては何としてでもこれを入手する必要があり、ただちに入手出来なくても開発完成時までに確実に入手できればよく、かつ開発施工には所有権はなくても地主の開発同意があればよかったので、取得後五年を経過した時点であれば売却してもよいとする被告人田中の意向を諒承し、売買取引の日時を昭和四七年一〇月三一日とする本件売買契約に応ずることとしたので、ここに本件売買契約が成立するに至ったものである。従って右契約は大末建設の真意にも添うものであり、決して仮装のものではない。

ただ右契約は将来の売買を約束するものであるから右契約を確保し途中で違背されないようにし、又多額の資金を投入して開発施工を行うものであるところから、日本信販が本件宅地開発の資金として三菱信託銀行から融資を受けた二億円の借入金についてその担保として本件土地を提供させ、その代り被告人田中の要求に応じ、大末建設が日本信販から支払いを受けた本件土地代金を住友銀行福岡支店に定期預金として預け入れ、これを同被告人が同銀行から融資を受けた借入金の担保に提供し、次いで開発同意書を差入れさせると同時に裏代金を支払ったものである。

(10) 右のとおり、本件土地については、大末建設と日本信販との間においては、大末建設がまだ被告人田中から買受ける約束も出来ていない以前において既に売買契約が締結され、その代金も昭和四六年九月に支払うこととされていたもので、この契約に基づいて日本信販は大末建設に対し同月一三日に右代金を支払っているのであるが、その事は、日本信販が本件宅地の開発造成を急ぎ仕上げたいと考えて大末建設を急がせ、大末建設もこれを受けて土地の買収及び宅地造成を急いでいたことを物語るものであるが、被告人田中には直接関係のない事であった。同被告人としては自己の利害を考え短期譲渡になるような売り急ぎはあくまでも避けることとし、かつその考えを貫いた。

他方大末建設は、同月一〇日の被告人田中との売買契約に基づいて、本件土地の売買取引は翌四七年一〇月三一日に行われることになったので、それまでは日本信販から受け取った本件土地代金はこれを被告人田中に支払う必要はなく、又支払うことは出来ないので、これを日本信販からの預り金と心得て保管していたのである(前記証人西村悟の原審第一四回及び第一六回公判における各証言参照)。これを定期預金として預入れ、その定期預金を被告人田中の銀行融資の担保に供したことをもって、右代金を同被告人に支払ったものとの考えは全然なかったのである。

従って、勿論、大末建設は右定期預金の利息はちゃんと受領していたし、他方被告人田中もその借入金に対する利息は自ら支払って来た外、本件土地についての公租公課及び町内負担金等も昭和四七年一〇月三一日までの分を支払っているのである。

ただ、大末建設は、被告人田中に対し、同被告人は住友銀行福岡支店から融資を受けた前記借入金の利息ということで昭和四六年九月一〇日から同四七年九月二〇日までの間に計一、七二四万七、九八二円(これは被告人田中が住友銀行に支払った借入金の利息より七一二万七、四七一円多い。)を支払っているが、これ又結局被告人田中から本件土地を優先取得するための条件と心得て支払ったものであり、(証人西村悟の前示証言中)他方被告人田中としては、実際の売買取引が一年以上先になるところから、それまでの値上り分と考えて受領したものである。

(三)(1) 以上の次第であるので、大末建設と被告人田中との間において、本件土地につき、昭和四六年九月一〇日売買契約が締結されてはいるが、その契約内容は本件土地取引を昭和四七年一〇月三一日に行うことにするというものであり、将来の売買としてもとより適法であり、節税を目的とした当事者双方の真意に出でた合意の結果である。原判決のいうような脱税目的の虚偽契約書などでは絶対にない。

それ故、その売買代金は、別途大末建設と日本信販との間で締結された本件南ケ丘ニュータウン造成計画地の売買契約に基づき、日本信販から大末建設に支払われることになっていたので、大末建設はこれが支払いを受けて被告人田中に対し支払うことが出来たのであるが、そうする訳にいかず、又被告人田中も支払いを受ける筈がないので、両者間ではこれが授受の話は全く行われていないのである。

しかし、たまたま被告人田中が住友銀行福岡支店から相当多額の融資を受けるに際し、同支店次長藤本鐵雄の示唆に基づき、これを同支店に定期預金として預入れて同被告人の右融資金の担保に提供するよう求められたので、その通り取計らったわけである。

即ち右代金は、あくまで受取るわけにはいかない、これを受取るのは昭和四七年一〇月三一日売買実行のときである、という事を前提として総てが取り運ばれているのである。

原判決及び第一審判決は、これら一連の行為をすべて仮装行為であると断じているが、いずれも両者の合意に基づいて行われた適法な行為であり、かつその通り実行されたのであるから仮装行為などではない。

(2) 被告人田中が先に昭和四四年度分の所得税の確定申告に際し、松田義一から買受けた土村について取得年月日をずらして契約書を作成し、長期譲渡を仮装した事実があることを取上げて、本件の場合も同様長期譲渡を仮装するためであったと断じているが、両者は全く事情を異にする。

松田義一から買受けた土地は、昭和四二年中に買入れたものを長期譲渡を仮装するため殊更契約書を書き換えてその前年の昭和四一年中に買受けたものとしたのであって、これこそ正しく過去の事実を曲げて長期譲渡の如く装ったものであるが、本件土地の場合はその様に事実を曲げた節は少しもなくむしろ曲げないで済むように昭和四六年中に売却しては短期譲渡になるのでこれを避け、そのようにならないように一年後の昭和四七年一〇月三一日に売買することにしようという契約であり、将来の売買としてもとより適法有効な措置であり、何等仮装するものではない。

そしてその趣旨を貫くため、売買代金は既に準備されていたけれども、これを授受しないで、必要な資金は銀行からの融資で賄うことにし、ただその融資を受けるについて、担保に提供して貰ったに過ぎない。そこにはいささかもいつわりはない。

(3) しかるに、原判決及び第一審判決は、たまたま被告人田中が融資を受けた金額が右代金と同額(従って担保に取った定期預金とも同額)であったこと、右定期預金は予定通り昭和四七年一〇月三一日解約され、その払戻金を被告人田中の借入金の返済に充当されたこと、その操作は銀行における書類上の処理で済んでいること等から、右代金は昭和四六年九月一三日に借入金という形で被告人田中に支払われたと見るべきであるとして、これを本件土地の譲渡代金と評価すべきものと断じているが、余りにもうがち過ぎた見方で、関係当事者の意思や契約内容等を全く無視し、事実を誣いるものである。定期預金はあくまでも定期預金であり、借入金はあくまでも借入金であって、両者とも昭和四七年一〇月三一日に決済されるまで歴として存在していた。昭和四六年九月一〇日ないし一三日に消滅した事実はないのである。事はもっと素直に見て無理のない解釈をすべきではあるまいか。

短期譲渡を避け、長期譲渡になるのを待って処分したいとすることが何か法を曲げるものと考えられているのではあるまいか。短期譲渡にならないように譲渡を先にのばし、長期譲渡と認められる時期になって売買することは所謂節税であるが、脱税ではない筈である。節税のために売買取引を翌年に行なうことにし、翌年になれば手に入るべき売買代金を担保として借金をすることは何等差支えのない事であり、代金の受領と同視すべきことにはなるまい。

(4) 被告人田中としては銀行融資を受けるについて、必ずしも大末建設が持っている売買代金を担保に提供してもらう必要はなかった。同被告人自身他に相当の不動産等を所有しており、本件程度の相当高額の融資であっても、その担保に事欠くことはなかった。それを殊更定期預金担保の提供を受けたのは、日本信販から一切を請負った大末建設が、どうしても被告人田中所有の本件土地を売却してもらいたいと執ように懇請して来るし、今年は売れない、来年なら売ってもよいと譲歩すると、それでもよいから売ってくれと売買契約の締結を求め、その上本件土地を日本信販の借入金の担保に提供するよう要求し、他方、未だその売買契約も整っていない時期に早々と日本信販との間に本件土地等の売買契約をしたばかりか、その代金まで受領することにしているので、被告人田中としてもついついこれを利用する気になり、前叙のように相互に担保を提供させることになったもので、原判決及び第一審判決の言うように長期譲渡を仮装するための操作というものでは決してないのである。

短期譲渡にならないようにすることが被告人田中の意思であり、大末建設及び日本信販も同被告人のこの意思を十分諒承して短期譲渡にならないようにすると共に、本件土地を確実に譲受けて出来るだけ早く宅地造成を完成させたいとするのが大末建設及び日本信販の意思であった。

原判決及び第一審判決は、被告人田中及び大末建設らのこの意思を全く無視し、或はむしろ悪意に解釈して被告人田中の本件借入金をもって売買代金の受領と同視すべきものと断じているが、明らかに事実の誤認である。

(5) 又原判決は、「契約上の代金支払日である昭和四七年一〇月三一日には住友銀行福岡支店係員が右定期預金と融資金とを相殺して書面上これを処理している」旨説示しているが、右も亦事実の誤認である。

第一審証人藤本鐵雄の証言(記録二、一七七丁以下)にあるように、昭和四七年一〇月末に大末建設の定期預金が解約されてその預金の払戻しがあり、他方被告人田中の借入金が同日弁済されたが、その弁済資金は大末建設の定期預金の払戻金をもって充当されたけれども、それは相殺ではない(六四問答)。

現金その物の授受が関係者間で為されたという事実はなかったとしても、定期預金の解約及び払戻し手続と、借入金の弁済手続とは現実に取られているのであり、さればこそ被告人田中は同日付領収証を作成して大末建設に交付しているのである。原判決の前示認定は短絡的に過ぎ事を見誤っている。

(6) 右のとおり、本件土地の売買代金(裏代金を除く)は昭和四七年一〇月三一日に支払われ、同日所有権移転登記手続が取られ、同年一一月二日被告人田中から日本信販に対する所有権の移転登記を完了したことは登記簿謄本(記録第二冊五六九丁以下)によって明らかである。

従って、本件土地の売買は昭和四七年一〇月三一日に完了し、同日被告人田中の所有を離れたと認むべきである。

然るに、原判決及び第一審判決は、昭和四六年九月一〇日に本件土地の売買が行われ、同月一三日に土地の引渡しを完了して、被告人田中の所有を離れたものと決めつけているが明らかに事実の誤認である。

(四) 仮に百歩譲って、被告人田中が以上のように大末建設に本件土地の売買代金を定期預金として預け入れさせ、これを担保として同額の融資を受けたことが実質上は売買代金の受領(第一審判決はこれを本件土地の譲渡による収入金という。)と評価すべきものであるとしても、被告人田中としては、合法的な節税の目的に出ていたもので、偽りその他不正の行為により不法に所得税を免れようとしたものではない。現実に土地代金は受取らず、土地の所有権移転登記をしなければ、土地の売買は未だ行われず、従って土地代金の収入はないものと考えてしたものであるから、単なる関係税法の解釈を誤ったに過ぎず、脱税の故意はなかった。従ってこの点において被告人田中にはほ脱犯は成立しない。

以上の次第であるから原判決及び第一審判決には、判決に影響を及ぼすべき重大な事実の誤認があり、これを破棄しなければ著しく正義に反すると認められるので原判決及び第一審判決は刑事訴訟法第四一一条三号により破棄さるべきものと思料する。

二 判例違反

(一) 前段詳論のとおり、法件土地の売買契約は、昭和四六年九月一〇日に締結されたが、その代金(裏代金を除く。)の支払い及び所有権の移転登記手続は翌昭和四七年一〇月三一日に行ない、同日所有権を移転することに取決められており、実際にも右契約通りに履行されている。従って本件土地が被告人田中の支配を離れて、右大末建設ないし日本信販に移転したのは、右昭和四七年一〇月三一日であることが明らかである。

然るに原判決及び第一審判決は、形式上は右昭和四七年一〇月三一日に大末建設から被告人田中に売買代金が支払われ、同年一一月二日日本信販に対し本件土地の所有権移転登記がなされていることが認められるとしながら、実質的には右代金は昭和四六年九月一三日に支払われたと見るべきであり、これと同年一一月三〇日に支払われた裏代金(八三三万九、〇〇〇円)は昭和四六年度における被告人田中の収入金額に当ると認定している。

(二) しかし、「一般に譲渡所得に対する課税は、資産の値上りによりその資産の所有者に帰属する増加益を所得として、その資産が所有者の支配を離れて他に移転するのを機会に、これを清算して課税する趣旨のものと解すべきである。」ことは最高裁判所の判例とするところである(昭和四一年(行ツ)第八号、昭和四三年一〇月三一日第一小法廷判決、裁判集民事九二号七九七頁及び昭和四一年(行ツ)第一〇二号、昭和四七年一二月二六日第三小法廷判決、判例集第二六巻一〇号二〇八三頁)。

右判例の趣旨に従えば、資産の譲渡に基づく収入金額は、当該資産の所有権が他に移転した日の属する年分の総収入金額に算入すべきものと解するのを相当する。

本件土地の売買契約は、昭和四六年九月一〇日に締結されたものではあるが、その代金(裏代金を除く。)の支払い及び所有権移転登記手続は、昭和四七年一〇月三一日に為されて同日所有権を移転しているので、本件土地が被告人田中の支配を離れたのも同日と見るべきである。

仮りに、原判決及び第一審判決認定のように、本件土地代金(前同)が昭和四六年九月一三日に支払われたものと見るべきであるとしても、被告人田中及び大末建設は、双方合意の上、本件土地を昭和四七年一〇月三一日に売買することに取決めて、その旨の売買契約書を作成し、右契約に従い原判決及び第一審判決も認めているとおり、形式上にしろ昭和四七年一〇月三一日に大末建設から被告人田中に対し本件土地代金(前同)が支払われており、かつ同日同被告人から日本信販に対しその所有権を移転する旨の登記手続が実際に取られて、翌一一月二日その旨の登記手続が完了しているし、右日時までの本件土地に対する公租公課及び町内負担金は既に被告人田中において支払って来ていること前段において詳述しているとおりであること等から見れば、本件土地の権利証、委任状、印鑑証明書を日本信販に交付して同社が三菱信託銀行から借入れた二億円の債務の担保に提供したこと、本件土地の開発に同意して既に開発が行われている事実があるとしても、本件土地が被告人田中の支配を離れて日本信販の支配に移ったのは昭和四六年九月一三日ではなく、同四七年一〇月三一日であると見るのが相当である。果してそうだとすると、本件土地の譲渡所得に対する課税は、前示判例の趣旨に従い、これを昭和四七年度につき行われるのが至当である。

然るに、前示のとおり被告人田中が昭和四六年九月一三日住友銀行福岡支店から大末建設の同銀行に対する同額の定期預金を担保に借入れた一億六、六七八万円及び同年一一月三〇日大末建設から裏代金として支払いを受けた八三三万九、〇〇〇円計一億七、五一一万九、〇〇〇円を、昭和四六年度における被告人田中の収入金額に当ると断じた原判決及び第一審判決の認定は、最高裁判所の右判例の趣旨に違反していることが明らかである。

よって、原判決及び第一審判決はこの点において刑事訴訟法第四〇五条二号、第四一〇条により破棄を免れないものと思料する。

第二点 簿外仕入れの薬品費についての事実誤認

(1) 第一審判決は簿外薬品費について、

昭和四六年度分の薬価率として二〇・一一%

昭和四七年度分の同 一七・五七%

を採用して

昭和四六年度につき四、一二八万四、九三一円

昭和四七年度につき四、七八一万七、七〇四円

を認容し、原判決もこの認定を相当としている。

(2) 右薬価率は、昭和四六年度分については、被告人田中作成の昭和五三年五月一六日付の、昭和四六年、四七年分「国税局側提出の昭和五二年一二月二一日付五〇名分、昭和四七年薬価率計算根拠により作成した薬価率表」(記録第一〇冊二、九六四丁以下)中の昭和四六、四七年分薬価率を割安率で行った計算資料(記録一、九七〇丁)によるもので、昭和四七年度分については、昭和五二年一二月二一日付福岡国税局収税官吏大蔵事務官伊藤次男の査察官調査書(記録第九冊二、七九三丁以下)及び昭和五三年五月三一日付右同人の査察官調査書(記録第一二冊二、六三七丁以下)によるものであるが、右薬価率によると、昭和四六年度においては、年間総収入額の二〇・一一%が年間総薬品費となるので、その額は、

463、964、672×20、11%=91、292、295円

となり、これから公簿薬品を差引いた

91、292、295-31、542、393=59、749、902円

が簿外仕入れの薬品費となる。

しかし簿外仕入れの薬品価格はそれより更に三割安と見込まれているので、

59、749、902×70%=41、824、931円

が実際の簿外仕入れの薬品費とされるもので、この金額が第一審判決の認容した簿外薬品費となっているのである。

そうだとすると、昭和四六年度の薬品費総額は、

31、542、393+41、824、931=73、367、324円

であり、これは、年間の総収入に対し、

73、367、324÷463、964、672=16、16%

即ち一六・一六%に過ぎないことになる。

同様に昭和四七年度分についてこれを見るに、

579、061、220×17、57%=101、741、056円

が年間総薬品費で、これより公簿仕入れの薬品費を差引いた

101、741、056-33、430、050=68、311、006円

が簿外仕入れの薬品費であり、その三割安の

68、311、006×70%=47、817、704円

が実際の簿外仕入れの薬品費とされるもので、この金額が第一審判決の認容した簿外薬品費となっているのである。

そうだとする昭和四七年度の薬品費総額は、

33、430、050+47、817、704=81、247、754円

となり、これの年間総収入に対する比率は、

81、247、754÷579、061、220=14、03%

即ち一四・〇三%に過ぎないことになる。

右のとおり最終薬価率は、昭和四六年度分一六・一六%、昭和四七年度分一四・〇三%とかなり低率で、これは第一審判決の指摘する福岡国税局管内の精神病院七一の平均薬価率の昭和四六年度分一六・四八%、同四七年度分一四・四三%よりむしろ下廻っており、同判決のいうように上廻ってはいない。

(3) ところで、簿外仕入れの薬品については、その仕入れ価格を各薬品とも一率に社会保険研究所発行の薬価基準点数早見表(以下薬価基準という。)の単価から三割を差引いて計算したものを一般仕入れ価格とし、(証人伊藤次男の第一審第二六回公判における証言及び同人作成の昭和五三年四月二四日付査察官調書「上申書の作成手順について、」記録第九冊二、八八七丁以下)その一般仕入れ価格から更に三割安で仕入れたものとされていること前示のとおりである。

原判決はこの点を否定しているが、そうであるならば、簿外薬品費は前示計算に明らかなとおり、

昭和四六年度分は 五九、七四九、九〇二円

同 四七年度分は 六八、三一一、〇〇六円

であるべきであり、第一審の認容類は誤っていることになる。原判決にはこの点につき大きな見落しがある。

(4) 簿外薬品の現金仕入れについては、被告人田中及び福田恵は、国税局の査察段階において、市価の三割安で仕入れたとしており、検察官の取調べに対してもこれを維持しているのであるが、これは被告人田中と査察官との話合の上で妥協させられた割安率であって、実際の割安率を計算して割り出した数字ではないのである。従って十分措信するに足るものではない。

(5) 簿外仕入れの薬品についても、薬品の種類により薬価基準より著しく安値で購入できるものと、薬価基準と余り差がなく、一割から精々二割安位でしか購入出来ないものもある。

その薬品が一流メーカー品であればある程値引率は少なく、薬価基準に近いものであって、一率に安いものであると決めかねるのである。

そして簿外仕入れの薬品中値引率の高いものの比率は一応二割位であることは、実際に薬品を自ら買入れていた被告人田中が第一審第一三回公判及び原審公判廷において供述しているとおりであり、原審証人佐々木繁男の証言によっても肯認できるところである。

試みに、薬品費率の算出基準とされた昭和四六年、四七年の患者五〇名に投薬された総薬価合計額の中から値引率の高い割安品の比率を調べて見ると、割安品は、総薬価合計の、昭和四六年度分では一五・七〇%、昭和四七年度分では一四・三三%で、又薬価基準により算出した薬品の薬価合計額の中の割安品の比率は、昭和四六年度分で二〇・八二%、昭和四七年度分で二三・四三%で、平均二二・一二%と二割強に過ぎない(原審において提出した被告人田中作成の「薬価率の決め方と簿外薬品の現金仕入れの算定について」参照)。

以上のとおり、薬価基準により算出した薬品費(簿外仕入れの薬品費)の中で値引率の高いもの(安いものは五割から八割引のものもあるが)の薬品費は二割強に過ぎないのであって、八割弱はその値引率が一割五分から二割程度のものである。

従って、これを平均しても、その値引率が三割に及ぶことはあり得ず、少くとも割安品以外の薬品については、その値引率を二割程度と見るのが妥当なところである。

これによってこれを見ると、原判決及び第一審判決が値引率を一率に三割位と決めつけて簿外仕入れの薬品費を算出したのは早計に過ぎるもので、明らかに事実を誤認したものと断ぜざるを得ない。

(6)(イ) そこで原判決及び第一審判決が認容した薬価率、昭和四六年度分二〇・一一%を算出した計算方法に従い、簿外仕入れの薬品費を薬価基準により算出した価格(薬価基準の三割引)の二割安として計算すると、薬価率は昭和四六年度分二二・〇七%、同四七年度分一九・一六%となる(前示(2)の被告人田中作成の薬価率計算表の計算資料二九七〇丁参照)。

(ロ) その薬価率によると、各年度分の総薬品費は

昭和四六年度分 453、964、672×22、07%=100、190、003円

同 四七年度分 579、061、220×19、16%=110、948、129円

となり、これより公簿仕入れの薬品費を差引いたのが薬価基準により仕入れた薬品費(簿外薬品)となり、その金額は、

昭和四六年度分 100、190、003-31、542、393=68、647、610円

同 四七年度分 110、948、129-33、430、050=77、518、079円

となるのであるが、その中には前示のとおり、昭和四六年度分について二〇・八二%、同四七年度分について二三・四三%の割安品が含まれているので、その割安品の割合を求めると、

昭和四六年度分 68、647、610×20、82%=14、292、432円

同 四七年度分 77、518、079×23、43%=18、162、485円

となり、その割安品の割安率(値引率)を各三〇%とすると、

昭和四六年度分 14、292、432×70%=10、004、702円

同 四七年度分 18、162、485×70%=12、713、739円

が割安品の薬品費となる。

(ハ) 従って、右割安品を除いた前示薬価基準により算出した価格の二〇%安の薬品費は、

昭和四六年度分 68、647、610-14、292、432=54、355、178円

同 四七年度分 77、518、079-18、162、485=59、355、594円

となり、これに割安品の薬品費を加えると、

昭和四六年度分 54、355、178+10、004、702=64、359、880円

同 四七年度分 59、355、594+12、713、739=72、069、333円

となり、この金額が簿外仕入れの全薬品費となるわけである。

(ニ) そうだとすると、原判決及び第一審判決が認容した

昭和四六年度分 四一、八二四、九三一円

同 四七年度分 四七、八一七、七〇四円

では、

昭和四六年度分について 64、359、880-41、824、931=22、534、949円

昭和四七年度分について 72、069、333-47、817、704=24、252、529円

不足することになり、この金額だけ過少に認定を誤ったことに帰する。

(ホ) 然して、以上の計算によると総薬品費は、

昭和四六年度分 31、542、393+64、359、880=95、902、203円

同 四七年度分 34、430、050+72、069、333=105、499、383円

となるが、その総収入金額に占める比率は、昭和四六年度分二一・一三%、同四七年度分一八・二二%に過ぎないので、原判決及び第一審判決の認容するところより昭和四六年度分において僅か一・〇八%、同四七年度分において僅かに〇・六五%上廻るだけであり、過大に過ぎるものではない。

これを要するに原判決が維持した第一審判決において認容した簿外仕入れの薬品費には叙上のような大きな事実の誤認があり、その誤認は判決に影響を及ぼすべきことが明らかであって、原判決及び第一審判決はこれを破棄しなければ著しく正義に反すると認められるので、刑事訴訟法第四一一条三号を適用すべき場合に該当すると思料する次第である。

第三点 量刑不当

原判決の維持した第一審判決は、本件につき、被告人大得山株式会社を罰金一五〇万円に、被告人田中得雄を懲役一年二月(三年間執行猶予)及び罰金三〇〇〇万円に処することとしたが、右は、以下に述べる諸般の情状を照らし甚だしく重すぎて不当であり、これを破棄しなければ著しく正義に反すると認められるので、速やかに破棄さるべきものと思料する。

(1) 被告人等に多額の脱税ありとされて国税局の強制査察を受けることとなり、遂に本件起訴を見たことは誠に遺憾であり、被告人田中としては十分反省し、斯様な不始末は二度とあってはならないと深く戒心しているところである。

(2) 殊に本件記録を通じて痛感されるところは、大法山病院にしても、大得山株式会社にしても、経理事務の処理が甚だ杜撰であって、事を誤る基をなし、かつ、査察に必要以上の手数を煩わせることとなったと思われることである。

折角青色申告を認められていたのであるから、被告人等としても、これに十分対応する手当をほどこすべきであったと思われる。

しかし、被告人田中においては、常時五〇〇名を超える入院患者を抱えて献身している医師として、本来の医業に追われる余り、この方面の配慮に欠けるところがあったとしても、悪意にのみ解することは酷であろう。要はじ後の措置を誤らず、二度と再び同じ間違いを繰返さないことであり、被告人田中もこの事を特に反省し、本件査察及び審判を受けたことを良い薬として、十分手当をした上、日常慎重に注意しているし、本件以後は診療報酬の所得計算の特例による確定申告をしているので、今後再犯のおそれは全くないものと確信できる。

(3) 被告人田中は、本件査察の結果、特に重加算税として、昭和四六年分所得税について四、三六六万九、〇〇〇円、昭和四七年分所得税について一、七一〇万四、五〇〇円、計六、〇七七万四、三〇〇円を、又大得山株式会社は重加算税として、昭和四六年度分一七一万六、六〇〇円、昭和四七年度分一四九万四、〇〇〇円、計三二一万〇、六〇〇円を各課されている。

重加算税はほ脱犯に科せられる罰金刑とはその性質を異にするものであるが、申告納税を怠った者に対し、本来の租税に附加して、これとは別に、制裁的意義をもって賦課されるものであるから、ほ脱犯に科せられる罰金刑とその原因根拠は全く同じで、ただほ脱犯は不正の行為に着目し、これに対する制裁として科される点で異るに過ぎない。

従って、共に国家という同一の人格が、一の納税義務違反の行為に対し、一面行政罰として重加算税を課し、他面刑罰として罰金等を科するものであるから、両者は十分関連を持たせて考慮さるべきである。

即ち、被告人田中に対しては既に本件脱税に対して行政上の処分として前示のとおり六、〇〇〇万円以上の、大得山株式会社に対しては同様三〇〇万円以上といういずれも著しく重い制裁が課されているのであるから、刑罰、特に罰金刑の量定に当っては、右行政上の各処分を十分考慮に入れて量刑さるべきものと思料する。

以上の諸事情に照らして考えると、被告人大得山株式会社に対する前示罰金刑も、又被告人田中に対する量刑として、特に執行猶予に付されているとは言え一年二月もの重い懲役刑に加えて更に三、〇〇〇万円もの多額の罰金刑を併科することとしたのは、共に明らかに重きに過ぎるもので、甚だしく不当であり、これを破棄しなければ著しく正義に反すると認められるので、右各判決は刑事訴訟法第四一一条二号により破棄を免れないものと思料する。

以上

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